2011年10月10日月曜日

日本でぎっくり。

土曜日、大事な土曜日、littleぎっくり腰になりました。

朝の寝返り、ちょっとひねったかな〜と思ったら、
だんだん痛みが出て、歩けると思ってたら夜には激痛。

今は痛み止めとコルセットで対応しています。

日本は3連休。月曜も休み。だから病院も休み〜

日本に戻って、家の電気がまぶしかった。
最近は慣れたけど、でもまぶしい。

お茶うけがめちゃおいしい。
お茶の時間、家には何かまんじゅうやらチョコレートやらあります。
お腹が空いていないのに食べてしまう。
今も、トモカコーヒー(エチオピアのコーヒー)飲みながら、
シュガーバターサンドの木という、激ウマお菓子を食べました。

外食するとお腹がゆるくなります。
お酒すら飲まないのに、トイレに絶対行きたくなる。
精神的なものなんでしょうか。
だから、外食に行きたいとあまり思わない。

そして、あんまり食べれなくなってます。
日本の食事、豪華すぎる。油っぽいというか、栄養過多。
お腹がすぐにいっぱいになって、もたれる。
誰かも、さんま一匹食べただけで、お腹がめちゃ重いって
言ってた気がする。ティブスとかカイワットに比べて、
なんで重いのって感じですが。

金曜には大学で60分もしゃべらないといけません。
10分しゃべるのにめちゃ緊張していた私。
出来るのか!?お金のためならちゃんとします!
そして、来週からは大学の先生のお手伝い。
学生実習に同行し、学生達のフォロー。
出来るのか!?ちゃんとします。

こんな感じで私は日本にいます。

若山慶子

2011年9月29日木曜日

日本で初めて食べたもの

さあ、帰国。
と思ったら5時間の遅延でした。
まさかのアジスアベバで5時間半待ちで、ドバイでたらい回しの刑。
「ターミナル1からターミナル3まで行け。」と言われ、
行ったら「何で来たの?ここではない。」といわれ。
シニアも私たちもヘトヘト。

や〜っとホテルでゆっくりして、ドバイでちらっと観光。
エチオピアからドバイはちょっと差がありすぎて、
頭が混乱してました。本当のイミテーションみたいな町。
みんな車に乗ってて、道に人がいない。店がいっぱいあるのに
人がいない。映画の"トゥルーマンショー"みたいでした。


そして、関空に24時間遅れで到着。
他の国の隊員が結構きれいな格好してたのに、
私は誰かさんにもらった派手なオレンジTシャツでうろうろしてました。
いや〜ドバイからもう恥ずかしいったらないよ。
先輩隊員が言ってた事がよみがえってきます。
ドバイからもう違う。
そして、コレが到着直後食べたもの。
鉄火丼とぶっかけうどん。
そして、ビール。コレはアサヒです。
”エチオピアで見た事ない笑顔”と言われてしまいました、ビールを一口の後。
ギョルギスもすてたもんではない、と思っていたけども
やっぱりだめですね。という結論です。

東京はいろんな食事と物があふれています。
久しぶりにこんなに迷う、迷える。
ちょこっとさみしさも感じつつ、食と物に埋まっていくな〜
埋もれすぎないようにしないとな〜

2011年9月25日日曜日

送別会

隊員に送別会を開いてもらいました。
なかなか面白い送別会でした。

最終報告もやっと終わりました。
私は3割ほどしか思いを伝えれなかったと思いましたが、
みなさん、何か感じ取ってくれたみたいです。
まあ、よかった。

このよかったが言えるまで、本当にしんどかった。
絶対言ってやるもんかと思ってた時期もありました。
でも、最後だからではなく、よかったです。
消化しきれない気持ちや伝えきれていない思いは多いものの、
エチオピアに来てよかった。

日本のみなさんには、いろいろ心配かけました。
もうちょっとで元気な姿をお見せできます。
見守っていただき、本当にありがとうございました。
ちょっと変になっている私をお楽しみに。

後、2日のエチオピア生活満喫します。

若山慶子


2011年9月12日月曜日

あけましておめでとうございます。


ハッピーニューイヤー!といことで、今日は元旦。
エチオピア暦でいうとね、2004年です。
そして、信じられないことに、私、民族衣装着てます。
あんだけ買うのを渋っていたのに、もらったらすぐ着るヤツ。
大家の家に招待された帰り、顔見知りの人に誘われまた家に突然訪問。
いつもながら、泥ワット、ではなくドロ(鶏)ワットを食べる。
そしてコーヒーセレモニー。何回目やろう。
3件先の知り合いの子供に、元旦のお年玉としてビスクットをあげようと
声をかける。心の中ではまた誘われたら、また食べて飲まなあかんかな〜
と思いつつ。たまたまいなかったので、何故かほっとして帰宅。


これは、私の癒しです。先日、
バハルダール(隣の大きな町)にあるマンゴーパークにあるビアガーデン(?)。
アベシャ(エチオピア人)のデートスポットです。昼間から一人で飲んでました。
最後やな〜としみじみしたかったから。現像した写真をみながら、
一人にやにやしながら。しか〜し、アベシャはしみじみさせてくれない。
ボートにのらないか?
へい!何してるの、チャイナ!
ビール好きか?

代わりばんこに来る嫌な感じのにーちゃんたち。
汚いジーパンにグレーのだらだらポロシャツ、
ださい帽子にカッパ着て、メガネ掛けながら写真見てニヤついてる女。
そんな女に声はかけてこない、絶対、日本では。
でも、こっちでは違う。コレをもてるとはいわないけど、
こんなに声をかけられることも、もう一生ないやろうな〜と
思いながらまたニヤつく。ちょっと、酔ったかなと思い、ランチに。
私、絶対怪しいやつですね。

後2日で田舎脱出。さみしくなってきた私にまたニヤニヤ。


2011年9月8日木曜日

最後の活動。

一昨日、最後のクッキングショーをしてきました。
といっても、キャロットパンケーキを配っただけ。
パンケーキをデモンストレーションすると、失敗しまくるので。
私が自宅で全部作って、ポスターはって、配るだけ。

いつも手伝ってくれるメンバーがいなかったので、
一人ぽつんと行いました。
ただ、配るって大変。
対象は一応、母親と6ヶ月以上の子供。
最初は、みんな怖がって寄ってきません。
好奇心のある、ミーハーなアベシャ(エチオピア人)だけ。
ポスターの前に陣取っても配れないので、歩いて回る。
すると、この人また来た〜とか、この人ただの付添人やんとか、
ジーパンはいてるから金持ちっぽいとか、太ってるからあげないとか、
私があげる人をめちゃ選定してる。

この感覚わかるでしょうか。
私に群がって来る人たちに全員分はケーキはない。
そのとき、感覚的にあげる人をとっさに貧しそうな人、痩せている人、
欲しいって言わない人にあげてます。
後から考えると、何の根拠もないし、誰にあげても大して変わらん。
そして、自己嫌悪。私の最後の活動これで良かったんか?
人参入ってるって言ってもあんまり通じないし、
ポスター見たって、読めない人も多いのに。
は〜2年の締めくくりがこれか。

”ただあげる”っていう行為ですらすごく難しい。
誰にどんだけどれくらい。あげて自己満足。それすら無い状況。
援助とかボランティアってそういうことを超えて考えないといけないんですね。
だから、難しい。ん〜でも必要です。
2年でこれくらい、自己満足何割でしょうか。答え出ません。

2011年8月22日月曜日

ローカルな人たち

どうも。
在エチ後一ヶ月に迫りました。
このごろ、写真に収めないとっ!と思う事が多くてカメラが手放せません。


この写真。仲が良さそうな(?)家族。
エチオピア人の特徴でしょうか、カメラを向けると笑顔が消える。
お父さんもお母さんも子供も、みんなこっちの北のエチオピア(アムハラ人)っぽい。
何故か男性ホットパンツ。女性はワンピース(絶対プリーツスカート、細か目の)
女性はオシャレとして、ネックレスと腹巻きが必須アイテム。
北の女性は髪の毛を短くします。理由はいらないから。
本当かどうか知りませんが、言ってました。
子供のワンピース。分かるかな?ボタンがいっぱい縫い付けられています。
これも、おしゃれの一つ。


この写真は、エチオピアンなおんぶヒモです。
もちろん革製。いつも、子供が蒸れ蒸れなんではないかと思って
しまう。下の方にじゃらじゃら付いているのは貝殻です。
歩くと、これらが揺れて子供に心地のいい(?)音が出て一石二鳥。

今日は、小さい方の子供が熱を出したので来たようです。
子供が熱を出しても、結構厚着させます。
水を飲ませるよう言ってみましたが、多分、彼らは2時間くらい歩いて家に
着いて水を飲むのかな〜と思います。

最近、ここ1〜2ヶ月、週1しか水が出ません。
まあ、何とかなってるんですが。
近所の他の隊員の家は1ヶ月出てない所もあります。
ここで、隊員に会うと、挨拶代わりに水の状況報告です。

活動としては、主に学会発表の資料作りですかね〜
期日が迫ってる分、急がなければ。
あと、レポートも。

ヘルスセンターで、いろいろ試してみたものの、何だかな〜
と言った感じで終わりそう。
今日、仲の良いナースに、滅菌ガーゼ作りを手伝いながら、
『何か、何も出来なくてごめんね。』って言ってみた。
大きな反応もなく、まあ、期待もあまりされてなかったわけです。
別のナースには、ひたすら日本に連れて行けと言われ、
日本人との結婚はどうのこうの、何かほしいどうのこうの。
「言い方とアピールの仕方をもっと変えないと、もらえないよ。」とか、
「マネージメント出来ないと外国人は物をあげないよ。」とか、
「欲しいばっかり言ってないで、努力しろ。(やんわりね。)」とか
いろいろ言ってみました。2年で私もいろいろ言えるようになりました。
そして、この話題も慣れたもので、大してへこまないし、イライラしない。

今回はこんな所で〜チャオ。


2011年7月10日日曜日

ヴィクトリアフォール


こんな感じで飛んできました〜



後ろが私。